「食糧について」

1996年5月30日
小 原 茂 幸

人類の歴史の中で最大の関心事は、
つい先頃まで、そして今でも
「如何に食糧を確保するか。」
「如何に食べるか。」ということでした。
今、発展途上国の子供たちがお腹を大きくして、
飢えで死んでいく一方で
先進国ではダイエットに励む人々が沢山います。

現在、地球には60億人からの人間が住んでいます。
約四分の一の人々は豊かな生活を享受しています。
しかし、四分の三の人々は飢えの恐怖の中にいます。
飢えの恐怖の中にいる人々の約半分は
「きょうも満足に食べられなかった。
しかし、明日もきょう食べた量を食べられるとは限らない。」
という状態です。

一方、私の子供の頃は、家から学校まで約4キロの通学路でした。
学校からお腹を空かして帰ってきても
戸棚におやつはほとんどありませんでした。
したがって、
桑グミ、シャゴメの実、イタドリの茎、木苺、栗の実等よく食べました。
人口甘味料、合成着色料等入っていない、まさに自然の味です。
かたや、現代っ子には何でもあります。
TVのCMに出てくるものは、
街のスーパーマーケットやコンビニに行けば、
何でも口にすることができます。

子供たちの中には、
「おいしいから食べる。まずいから食べれない。」という子がいます。
しかし、食べ物は身体を維持していくための原資です。
栄養をバランスよく採ることが大事です。
この地上においては、
食べられなくて死ぬ子もいれば、
食べ過ぎることにより健康を害する子もいます。
また、
食べ物が無くて栄養失調になる子もいれば、
有り余る食べ物の中で、好き嫌いによって栄養不足になる子もいます。
まさに、先進国の子供の世界においては、
有り余る食品の中で
食べられない恐怖よりも、
食べさせられる恐怖の中にあるといっても過言ではありません。
母親の中には子供の衣服にばかり愛情を注ぎ、
食べ物はスーパーやコンビニのお袋の味に任せっきりの人もいます。
そして、
愛情に飢えた子供はやがて大人になれば肥満になり易く、
肥満は成人病に結びつき、
成人病のの多くは食生活に起因していると言われています。

そして、生活が豊かになればなるほど、
粗食には耐えられなくなっていきます。
今、東南アジアは急激な経済成長を遂げています。
生活が豊かになれば、穀物が主体の食生活から、
穀物を飼料として肉類に変え、
欧米型の食生活に変化していくことでしょう。
我々日本人が太平洋戦争後に歩いてきた道です。
庶民はその昔、正月や祝い事でもなければ、
お肉や刺し身を口にすることはできませんでした。
たまに食べるから本当のご馳走でした。
しかし今、
食べようと思えば毎日口にすることができます。
そして「本当においしい」というものが少なくなりました。
ご馳走というものがあまりありません。
食べられないものが食べられたからこそご馳走なのです。
毎日食べられればご馳走ではなくなったのです。

そしてグルメブームと言われて久しい時が過ぎました。
その一方で野菜や果物に「旬」という言葉が薄れてきています。
一年中トマトや西瓜が食べられます。
しかし、
有機肥料によって太陽の光をいっぱいに受けて育った
昔のように青臭いトマトや、
ショビショビした歯ごたえのキュウリは、
いったい何処に行ってしまったのでしょう。
やたらと味が軽くて日持ちの良い野菜が重宝されて、
本当の味が薄れているようです。
グルメという言葉は覚えても
本当の旨味を知る人は少ないようです。
無農薬、無農薬といいながら、
虫が食ったキャベツや白菜はいらないという。
虫が食うということは無農薬の印なのに・・・・・。
大根は色が白く、みかんは艶がよく、
キュウリはまっすぐでなければいけないなんて、
どこかおかしいです。
ビニールハウスのなかで化学肥料によって
促成栽培された野菜や果物よりも、
太陽の下で元気に育った物の方が健康です。
野菜や果物も人間と同じで、
見かけも大事だけど、
中身のほうがもっともっと大事です。
そして何よりも野菜も人間も育てるのには愛情が必要です。
しかし、昔の味のトマトやキュウリは売れないといいます。
今の世にあっては売れるものが価値のある物のようなのです。

確かに良いものが売れる時代です。
しかし、野菜や果物はどうも異なるようです。
今メーカー受難の時代だといわれています。
価格競争は厳しく、単価は下がり、
恒常的に人材不足、
納品時間にはタイムサービスに間に合わせ、
品質管理は当然のこと、コンピュータの伝票に合わせて納品する。
「消費者の利益」は大歓迎だけれど、
消費者の利益の名の下に流通の横暴がまかり通っている感がします。
何かおかしいと思っている人は少なくありません。
メーカー(生産者)の最前線を走っているのが農業なのかもしれません。

日本は島国です。
食糧自給率はどんどん下がっています。
安くておいしいものが
お金さえ払えばいくらでも入ってきます。
少なくとも人類の半分は飢えているというのに、
世界中から食糧を輸入しています。
果たして、いつまで続けられるのでしょうか。
食糧は天候に左右されます。
「売れれば三交代制で増産、売れなければスイッチを切る。」
というわけにはいきません。
一度原野にしてしまった田を、
水田に戻すことは容易ではありません。
また、「連作障害」という言葉を知らない人間が、
米を食べずともパンを食べればいいと言います。

人口とは人の口の数です。
一説によれば、
地球の人口は1830年代10億人でした。
100年たった1930年代は20億人でした。
それから30年たった1960年代に30億人になりました。
そして15年たった1970年代40億人を突破し、
1980年代には50億人、
そして、今や60億人を数えるにいたったのです。
まさに人口爆発です。
人類は急激に増殖しています。
やがては食糧不足になることでしょう。
お金があることをいいことに金の力で食糧を買いあさっていれば、
やがて、兵糧攻めに遭っても致し方ありません。
とにかく売れるものが価値のある国ですから、
売れないものに価値は見出されない国です。
愛情も食糧もお金だけでは買うことができないと思うのですが、
いかがなものでしょうか。



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