「まちの復活に向けての「夢」(中心市街地の活性化案)」



2004年1月12日
小 原 茂 幸

1900年、U.S.A.の産業人口の95%は農業でした。 2,000年、U.S.A.の農業人口は5%に過ぎません。 ではU.S.A.の農業は衰退したのかと言うと、否。 U.S.A.は世界の食糧供給基地となっています。 これと同じ事がこれからの100年間に様々な分野で起こる事でしょう。 とりわけ、流通業はここ30年で大きく変わるだろうと予測されています。 まちは「物と人と情報が行き交う場所」です。 すなわち、賑やかでなければ「まち」とは言えません。 人が集まらなければゴーストタウンです。 出会いがあり、感動が無ければまちの機能は失われます。 まちが無ければ文化も育ちません。 まちを行き交う人、物、情報は、時代とともに変化します。 江戸時代や明治時代に流通していたものが、今の時代にどれだけ通用するのでしょうか。 モータリゼーション、大型店、流通グループ、インターネット、コンビニエンスストア、 流通には様々な場面で急激な変化が起こっています。この変化に対応できるか否かが問われています。

一方、まちは不必要な機能なのでしょうか。大型店やコンビニや通販があれば、まちは要らないのでしょうか。 否、まちは必要です。 そこに住む人々のコミュニティーを形成し、発展させ、物質的な豊かさのみならず、 文化的な豊かさを形成するために、まちの機能は必要不可欠なものです。 社会的資産(ソーシャルキャピタル)とは、今や道路や橋や文化会館ではなく、そこに住む「人々」そのもの、 すなわち様々な能力を持ち合わせた様々な人々がどれだけ住んでいるのかが問われています。 教育が財産だと言われる所以です。まちは文化です。 魅力あるまちが無ければ、魅力的な人は集まらず、魅力的な人も育ちません。 まちは様々な人が行交い、物が動き、情報が飛び交う場でなくてはならないのです。

では、駒ヶ根の現状はいかがなものでしょうか。 今のまちと10年前の商店街を思い起こしてください。 空き店舗が確実に増えています。元気がありません。好むと好まざるとに関わらず、時代は変わっていきます。 「まあ、何とかなる」「誰かがやってくれるだろう」何もせずにいたら10年後、20年後はどうなっていくのでしょうか。 さらに「自分のところは大丈夫」「今いいから何とかなる」。一人で、どこまで、いつまでやって行けるのでしょうか。 現在、まちの形(箱)は残っています。ここにどのような商品を並べ、どのような人々を呼び寄せたらよいのでしょうか。 今のままの商品構成で人を呼べますか。あるいはどのようなお客様を呼ぼうとしているのでしょうか。 地元の方々だけで、どれだけの売上が望めますか。 大型店や、流通グループが扱っているものを同様に並べようとしても、とても太刀打ちはできません。 人が賑わう「しくみ」を考える時が来ています。 年に数度のイベントではなく、毎週(年に51回)、毎日(1年365日)賑わう「しくみ」が必要です。 採算に合う賑わいを創造しましょう。賑わいを創造する夢を、形にしましょう。 人が集まれば様々なお店が向こうからやってきます。 活気が生まれ、洒落た喫茶店や素敵な食堂、画廊、映画館だって不可能ではないかもしれません。 空き店舗が無くなり、家賃収入も上がり、収入が増え、財政基盤が確立できる「しくみ」が今、求められています。

かつて子供の頃(昭和30年代)には「町へ行く」と親に言われたときには、 ウキウキしたものがありました。広小路や銀座通りは駒ヶ根市の中心として人が溢れる賑やかな通りでした。 路線バスや飯田線が全盛の時代のことです。 やがてモータリゼーションの発展によって、マイカー時代が到来し、平行して公共交通が廃れ、 これが更にマイカー時代を推し進め、結果として、駐車場のある郊外の大型店へと商業地が移動していきました。 今や中心市街地には空店舗や空家が目立ち、かつての活気はごくわずかしか残っておりません。 古来より「町」は「物と人と情報」が行き交う場所でした。 町は本来「市場(楽市楽座)」であり、そこには夢があったはずです。

そこで、4つのまち作りを提案します。
@「環境都市」21世紀は環境の時代だといわれています。 人口爆発、食糧難、地球温暖化など、地球規模で考えて地域で行動する時代です。 「食とエネルギーの確保とゴミ問題」。 地域自給、地産池消の循環型社会として、郊外の農産地と連携し、「日本一の環境都市・駒ヶ根」を目指すべく、 情報を発信し、連携を深め、美しいまち作りを進めます。 町の中に「花とみどりと水」を整備し、潤いのあるまち作りを行います。 「美しさには人を惹きつける力があります」。二つのアルプスが見える日本一美しい街を創造しましょう。

A「福祉のまち」日本が迎えようとしている少子高齢化社会。 これを背景にまちを考えたとき、中心市街地の中に、 「デイサービスセンター」と「保育園」、「学童預かり」を集合させる事を提案します。 空店舗や空家を活用して「様々な形態のデイサービスセンター」を開設し、ネットワークさせます。 10人規模のデイサービスセンターが10軒集まれば100人の規模になり、保育園ともども、毎日送迎がなされ、 必然的に町に行く機会が増えます。高齢者と幼児を隣り合わせにする事で、世代間の「育み」が発生します。 高齢者や幼児に安全なバリアフリーの町を目指し、ボランティア活動などの人材の確保も容易になります。 なじみの店舗に昔からの客が復帰します。福祉のまち作りで地元の人々を呼び戻します。

B「手仕事屋のまち」人間の健康は「手」と「足」をいかに使うかが大きく作用しています。 現代人の病気の根源といわれるストレスも、かつては、編物、パッチワーク、縄ない等の手仕事でかなり解消できたとの事です。 滋賀県長浜市の黒壁は「ガラス」でした。 駒ヶ根は、民が始めた「くらふてぃあ」の工芸と、青年海外協力隊の活動地である発展途上国の民芸品などを展示する、 「手仕事」を中心にしてみたいと考えます。 たとえば、北町の駐車場を利用し、「丸屋」で医食同源の食事を提供し、 六合社の倉庫を「黒壁」に見たて、「てしごとや」の委託販売された各店舗を見て歩き、 市内を循環し、安楽寺で歴史に触れ、長生社で地酒と地料理に舌鼓を打ち、まちの広場でイベントを楽しむ。 散歩を楽しみウォーキングを楽しむ。 毎週、それぞれの工芸家の工芸スクールを開催し、年に数度のフェア(お祭り)を企画します。 手仕事には「料理」も入ります。地元の旬の食材を活用した様々な食堂や、青年海外協力隊の派遣先のエスニック料理店等が並ぶ町。 日本一の「手仕事屋のまち」として全国に情報を発信するとともに、全国から人を呼び寄せます。 当初から資金が無いとすれば、月に一度、年に12回の「手仕事市」を提案します。 文化会館からJR駒ヶ根駅までを歩行者天国とし、テントを並べ、空き店舗も利用しながら、 クラフティアをまちの中に再現します。 点から線へ、線から面へのきっかけを創造しましょう。

C「駒ヶ根ファンクラブ」の設立。 日本は今、少子高齢化社会を迎えると同時に、あと数年で総人口が減少に向かう時代に突入します。 顧客の囲い込みを行い、上得意様を増やす営みが様々な場所でなされています。 駒ヶ根を一度でいいから行ってみたい町にしたい。駒ヶ根を春夏秋冬それぞれ尋ねて見たい町にしたい。 駒ヶ根を行ってみたい町から住んで見たいまちにしたい。駒ヶ根を日本一美しいまちにしたい。 そのために、駒ヶ根から情報を発信する場を作りたい。それが、駒ヶ根ファンクラブです。 四季折々の便りを送るとともに、イベント案内、生活提案、お店の紹介、特典案内など、 インターネットやメイルで発信するとともに、年に4回ほどは情報誌を送りたい。 そして、ファンクラブの会員カードには「つれてってカード」を利用し(デザインはおしゃれで女性受けするも)、 エコマネーの機能をフルに活用できるものとしたい。 「駒ヶ根ガーデンファーム」との連携を図り、農業、観光、商業、ボランティアなどとの連携を深めます。

21世紀はクロスオーバーの時代です。 多様性を組み合わせ、ネットワークする事で生き残りの道が開けてくるものと考えます。 駒ヶ根には中心市街地から3km程の所(インターチェンジ)を起点にして、年間60万人以上の人々が訪れています。 駒ヶ根高原60万人、光前寺50万人、駒ヶ岳ロープウェイ30万人。 八王子から2時間、小牧から1時間半、という地の利があります。 さらに二つのアルプスが見える、すばらしい景観の場所です。 この美しさをさらに特化して、日本一美しい街を目指しましょう。 観光業、農業、商業、製造業が一つの方向を目指して、新たな「しくみ」を考える時期がまさに来ているのではないでしょうか。 (S.Ohara)









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